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一角乙女の薬示録~領主様の御子息と「救国」するはずが、どうして「求婚」されたことになってるの!?【『黒竜と紙袋姫の歌』テンガン領極東地方にて絶賛大ヒット中!】~(1/3)

<第1話 トルジカの魔女……?>

 ゴリゴリ、ゴリゴリ。

 これは乾燥させた薬草や木の実を船型の器具で粉末状に砕く音。
 取っ手付きの車輪を前後に転がして、押し潰す。

 鼻孔をくすぐるスパイシーな香りは、体温を上昇させる効果があるホッカロの実。
 食べるととっっっても辛くて、中でも種は舌が痺れて三日間は味がわからなくなるくらい。
 少量で絶大な保温効果があるから、冬に備えて今からたくさん在庫を作っておかないと。

「アーミヤの葉は……やだ、もうほとんど残ってないじゃない」

 部屋の中に所狭しと吊るされたスワッグから、目的の葉を抜き取る。
 アーミヤの葉は崖に自生する上級薬草で、月明かりの下で採取しないと成分がなくなってしまう、とても手間がかかる困ったさん。真夜中の崖登りはけっこう命がけ。
 またあの偏屈なカーバンクルに案内役をお願いしなくちゃ。

 名札がない無数の小さな引き出しから目的の鉱石を探し当てるのも、もうお手の物。
 上から三段目の右端がラピスライトで、その五段下がムーンスピラ。ほらね、青と白の鉱石が入ってた。もうスークスに場所を聞かなくたって完璧よ。

 目的の薬材を追加で投入して、また車輪を動かす。
 膝が痛くならないように穀物が入っていた麻袋を何枚も重ねて、中腰で体重をかけながら、ゴリゴリ。かなりの根気と力を要する、見た目以上の重労働。
 だけどこの時間が一番好き。何かと悩ましい日々の中で、無心になれる貴重な時間だから。

 開店したばかりの店先はとても静か。
 今日は陽が射して暖かいし、丘陵から吹き抜ける風も穏やかで気持ちがいい。
 こんな日はスークスの昼寝がとっても捗りそう。

「テンガン眠る、谷の城。金銀財貨の墓場となりて……」

 旅芸人が歌っていた曲を口ずさみながら、リズムに合わせて手を動かす。
 歌を歌いながら旅ができるくらい、このテンガン領も平和になったということ。
 隙間風が入る作業部屋には、外で遊ぶ子どもたちの笑い声も届く。

 今日はなんだか良い日になりそう。そう思っていた矢先だった。

「ここにある薬、全て売ってくれ!」

 どこぞの世間知らずの声が、店先から聞こえてきたのは。

 薬の在庫を全部売り払ったら有事の時はどうすればいのよ、全く。

 私はお気に入りのを手に取り、店先へ勢いよく飛び出した。

 * * *

 目的地であるシデ村は山を三つ超えた先にある。
 道中は危険な魔物も多いと二番目の姉に止められたが、もう猶予はない。
 二人の従者だけ連れて夜逃げするように出て来たのが功を奏したのか、今のところ追手の影はなかった。この隙に一気に山を越えたい。
 が、準備を怠るのは愚行。三番目の兄の冷静さを見習って、手前の村で物資補給をすることにした。

「ええと、この村は……」
「イズモ様、地図の向きが上下逆です」
「わ、わかってる!」

 金と銀の鎧を着た従者の金色の方キンに指摘され、広げた地図を咳払いしながらひっくり返す。どうりで全く読めなかったわけだ。

「極東の門、トルジカ……」

 テンガン領極東地方の入り口であるトルジカ。
 広大な丘陵に囲まれた村には、恵みの風を受ける大型風車が立ち並ぶ。
 それに、この村には百年戦争で魔族を裏切った魔女が逃げ果せているのだとか。
 魔女もゴブリンもスライムも、どんな種族が住んでいても驚かないのがこのテンガン領だ。

「トルジカの魔女は魔族の研究所で薬学書数千冊を網羅したと言われています。事実、彼女は5年前まで死病と言われていたシグル感染病の予防薬の調合に成功しました。シデ村の件でも助力を乞うてみては?」

 今度は銀色の方ギン。どうやらこいつら、俺を世間知らずの引きこもり阿呆と思っているらしい。

「それくらい知ってる。だが魔女は強欲で強かだと言うじゃないか。どんな見返りを求められるかわかったもんじゃない」

 しかし、彼女の作る薬の効力は本物だ。苦しむシデ村の人々へ届けたら、きっと何よりの手土産になる。
 そうと決まれば目指すは魔女の薬屋。

 門の近くで遊んでいたゴブリンの兄弟に「魔女の薬屋を知らないか?」と尋ねたら、

「マジョ? マジョって食べれるの?」
「おれらのかーちゃん、まじょみてーにこえーよ!」
「ほんものの剣!? そのまっくろな兜もかっけぇー!」

 と、無駄に大声で絡まれてしまった。
 ええい、実家に噂話が流れないように、なるべく目立ちたくないのに……!

「と言いつつ、なぜイズモ様は肩車しているのでしょう」
「お人好しですからね、イズモ様は」

 キンとギンは適当に子ブリンをあしらいながら、肩に一人、両腕に二人を抱えてマッスルポーズをしている俺を遠巻きに見ている。おい、助けろ。

「マジョはしらねーけど、クスリ屋ならしってるよ」
「本当か!?」
「うん。あそこの赤いやねのところ。とんがりぼうしをかぶったしわくちゃなばーちゃんがいっつもひるねしてるんだ」
「それ絶対魔女だろ! 礼を言う、少年!」
「いーってことよ、あそんでくれたおかえしだ!」

 気持ちの良い笑顔で手を振る子ブリンたちと別れ、彼が指差した赤い屋根の建物へ向かう。
 村の中の一つ小高い場所に風車と並んで建つ家、というかオンボロ納屋? あばら家? 馬小屋? は、煙突から白い煙を出している。中に誰かいるということだろう。

 近づいて改めて思う。乾いた土壁と木が辛うじて形作っている、店と言うにはあまりに商売っ気のない外装だ。まぁ、この村の民家はどこも似たような感じだが。
 軒先に出された手書の看板と(お世辞にも上手な字とは言えない)、立て板にぶら下げられた乾燥薬草が辛うじて店っぽさを演出している。

 こ、この先にトルジカの魔女が……。

「緊張していますね、イズモ様」
「ファイトですよ、イズモ様」
「お前らはなんでそんなに距離を取ってるんだ?」
「「だって魔女、怖いですもの」」

 きっとこの二人は主人よりも長生きする従者になるだろう。
 ここで俺まで怖気づいていては示しがつかない。従者二人が外で留守番を名乗り出る中、意を決して建付けの悪い隙間だらけの扉を開けた。

「し、失礼する……」

 声が裏返ってしまった。幸いなことに店内には他の客はいなかった。よかった、情けないところを見られなくて……。
 だが、中を見渡してすぐに別の衝撃が走る。

「なんだ、この品揃えは……!」

 オンボロ小屋の中には、首都モリオンの薬屋でもなかなかお目にかかれないような上級薬がみっしりと並んでいた。
 瓶詰にされた軟膏、保存が難しいシロップ薬、数えきれないほどの錠剤が入った壁一面のガラスケース。百年戦争で底を尽きたはずのエリクシールなんかも湿布と並んで売られていた。
 間違いなくテンガン領で一番の回復スポットだろう。

 愕然と店内を見渡していると、箱詰めにされた粉薬が山になっているカウンターの奥で、何かがもぞりと動いた。
 とっさに背中の剣に手を伸ばすが「フガッ」という間抜けな鼻息が聞こえて、緊張を解く。
 子ブリンの言う通り、黒いとんがり帽子を被った「ザ・魔女です」と言わんばかりの老婆が、揺り椅子で豪快に昼寝をしていたのだ。

「も、もし、店のお方……」
「フガァ~、んぐぅ~」
「……あのぉ!!!」
「フギャッ!?」

 どでかい魔鉱石のピアスが付いた長耳に向かって大声を上げると、全身の毛を逆立てた小柄な老婆が飛び起きた。
 曲がった腰から「バキッ」という嫌な音が挨拶代わりに鳴る。

「なんだい、人が気持ちよく昼寝してたところに……」
「商売っ気なさすぎるだろ。客だ、客!」
「そーかい。見るからに名家を飛び出してきた若い剣士っぽいが、滋養強壮薬でもお探しかぇ?」
「な、なぜそれを……!」
「ヒッヒッヒッ、何でもわかるよぉ。それで、どこの娘っ子が気に入ってるんだい? この村で一番と言えば、やっぱりサキュバスのサロメットか? あの子の淫夢に応えられる薬と言えばチュパカブラの爪を煎じた……」
「そこじゃないっ!! 勝手にサキュバスと淫らなことをしにきた男にするな!」

 どうにも相手のペースに引きずり込まれてしまう。くっ、これが魔女の力か……!

「……薬を所望している」
「ほう、どんな薬だい?」
「全部」
「はぇ?」
「ここにある薬、全て売ってくれ!」

 それだけの価値はある。
 どれをとっても一級品なのは品揃えや保管状況を見ただけでわかった。きっとシデ村の人々の役に立つ。

 呆ける魔女としばらく見つめ合っていると、カウンターの奥で別の人影が動いた。
 他にも従業員がいたのか――と思いきや、カラフルな玉暖簾を勢いよくくぐって現れたそいつは、おおよそ従業員とは言いにくい風貌をしていた。

「こらボクちゃん! 営業妨害もほどほどにしなさい!」

 フィンガーレス手袋を付けた小さな指を勢いよく突き立てられ、よく通る澄んだ声が真っ直ぐに届く。

 白いケープ、ショートパンツから伸びる健康的な足、ぶかぶかなレザーブーツ。
 なにより特徴的だったのは、パン屋のロゴが入った紙袋の目出し帽を被っていたこと。
 何だそれ、村で流行ってるのか?

 紙袋から生えるたっぷりとした薄紫色の三つ編みを揺らした変質者は、呆ける客を見て得意げにふんぞり返ったのだった。